私の父は50代前半の若さで他界した。私が25歳の頃だった。最近、末期がんだった父と亡くなる数日前に話した会話の一部分が頭に浮かぶ。
父:(病院のベッドで横になりながら)はよ退院して働かんば・・・
私:そうやね。
父:警備員でもしてむっかな。
私:そうやね。
死ぬのはとても怖かっただろう。
今回は、「死ぬのは怖いが、間もなく死ぬと知らないことはもっと怖い?」について話する。すごいタイトルだ。
40年ほど前のことが一部分だけ切り取られて頭に残っている。父は私との面会の数日後に亡くなってしまった。私にとってはとても辛い思い出だ。
こういうテーマはどこかの徳の高いお坊様が説教されるのが筋であろうが、凡人を代表して私が少し話してみたい。
お布施もお賽銭もいらないので、最後に2度ほどクリックしていただければそれでよい。
若い頃は死ぬことを考えると、大変怖かった。
私は父が死ぬまで、一緒に暮らした身近な人が亡くなるということを経験したことがなかった。
そんな時、父が亡くなる半年ほど前に検査入院していた病院の医者から「末期がんで延命手術をしても6か月です。しなければ1か月でしょう。」と告げられた。
突然の告知に私たちは戸惑った。なぜならば、父の死を全く考えていなかったからだ。私たちは延命手術を選択した。
父が亡くなると、この先どうなるのか想像できずに怖かった。
急に昨日まで自分のそばにいた人が、この世からいなくなるのだから。
一方、私と父との最後の会話でも明らかなとおり、父は自分が間もなく死ぬことなど毛頭考えていない。
しかし、ひょっとすると薄々感じていたのかもしれない。もし、そうであれば怖かっただろう。
息子の前で精一杯虚勢を張ってみても、腹水のたまったお腹、痩せ細った身体だ。
父が「警備員でもしてむっかな」と言ったときに、私はなぜ「ゆっくりしとかんね。俺が稼いで養ってあげるけん」と言えなかったのか。(後悔)
私は「そうやね」と相槌を打つのが精いっぱいだった。
人は死を恐怖と感じるように、生まれつき脳の一部に埋め込まれているような気がする。
人は自分が死ぬとは思っていないし、自分の死が近づかないから戦争はいつまでも終わらない。自分の死が近づくと戦争は終わる。
要するに人はみな死ぬことを恐怖ととらえているのではないだろうか。
人だけでなく生きとし生けるものはみなそうだ。
最近、流行ってるしじみ成分の健康商品だが、しじみは生から調理するよりも一度冷凍して調理した方がオルニチンが8倍も摂れるそうだ。
しじみが冷凍されるときに死にたくないと頑張るから、オルニチンが大量に出る。
野菜だって雪に埋めておくと身を守るために甘くなる。
生きているものはみな死にたくないと思ってるんじゃないか?
つまり、地球上の生物の全ては死ぬのは怖いと思っているということだ!
世の中、生きたくても生き続けることができない人もいる。生きているだけで儲けもの。勇気と強い精神力を身に付け、頑張って寿命を全うしよう。
コメント