国内旅行~長崎ランタンフェスティバル!ノスタルジックな街並みの唐人屋敷跡

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はじめに

唐人屋敷は中国人住居地区で、出島と共に海外交流の窓口として大きな役割を果たしました。今でも当時の道路や石垣、空掘などの歴史的遺構が多く残されており、隠れた魅力がいっぱいです。今回、長崎ランタンフェスティバル2023開催中に唐人屋敷跡のエリアを散策しましたので、その時に撮影した写真とともに紹介します。本記事が皆さんの参考にあれば幸いです。

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唐人屋敷とは

唐人屋敷は、「出島」と並ぶ江戸時代の鎖国政策で設置された中国人住居地区です。1689年、幕府は、密貿易とキリスト教浸透を防止するため、唐人屋敷を建設し、中国人を収容・隔離、出入りを厳しく管理しました。敷地には、1度に2000人前後もの唐人たちを収容することができる二階建ての瓦葺(かわらぶき)長屋十数棟が建ち並び、周囲は高さ約2mの練塀(ねりべい)や竹垣などで囲まれていました。その周囲には水堀や空堀を設置。さらにその外周には通路を配し、竹矢来(たけやらい)で二重に囲まれていました。また、入口には2つの門が設けられ、唐人や一部の限られた日本人以外は出入り禁止され、長崎奉行所の支配下で町年寄など、地役人により厳しく管理されていました。しかし、江戸幕府の終焉によって、唐人屋敷は、明治元年(1868)に解体され、その後は廃屋となり、明治3年(1870)に焼失しました。現在は土神堂・天后堂・観音堂と福建会館の4堂のみが残されており、遺存していた「旧唐人屋敷門」は興福寺内に移築されています。

アクセス

大門


新地中華街から左方向を眺めると大きな門が立っています。唐人屋敷象徴門です。

湊公園から大門方向

唐人屋敷跡象徴門(大門)

四堂

「長崎ランタンフェスティバル」の唐人屋敷会場では、「土神堂」「天后堂」「観音堂」「福健会館」の四堂を巡り、赤い蠟燭を灯して祈ると願いが叶う、という「ロウソク祈願御堂めぐり」が開催されています。

土神堂

土神堂

土地や家を守り、豊作の神様として信仰される「土神」を祀(まつ)る「土神堂」

天后堂

天后堂

航海の神様 天后聖母(媽祖(まそ))、関帝を併祀する「天后堂」

観音堂

観音堂

観世音菩薩と関帝を祀る「観音堂」

福建会館(正門・天后堂)

福建会館正門

福建会館天后堂

福建会館は明治30年(1897)の建立です。会館本館(会議所)は原爆により倒壊し、現存する天后堂、正門は市指定文化財です。春節の時期は飾り付けられ、多くの人で賑わいます。

福建会館孫文像

孫中山銅像

この像は、正式には「孫中山銅像」といい、辛亥革命90周年を迎えた平成13年(2001)11月、日中友好のシンボルとして上海市から寄贈され、福建会館内に建立されたものです。孫文は、明治30年(1897)に初めて長崎を訪れてからは何度も、足を運び、生涯のうちで9回も長崎を訪れているそうです。

唐人屋敷時代の堀跡

堀跡

天后堂裏の側溝や、川底に石が敷き詰められた「森橋」「森伊橋」「榮橋」付近では、今も唐人屋敷時代の堀の跡を見ることができます。複雑な石組みが施された「榮橋」の橋下の石張りも唐人屋敷時代の堀跡です。

館内町の街並み

街並み

街並み

銭湯跡

鮮魚店跡

菓子店跡

街並み

街並み

街並み

街並み

寿々屋

寿々屋

唐人屋敷(江戸期の中国人居住区)脇の路地の角、紺地の暖簾が揺れる風情がよい、皿うどんがボリュームがあり美味しいと評判の店です。

蔵の資料館

入口

1階の展示

唐人屋敷の歴史等の資料や写真が展示されています。唐人屋敷の無料ガイドマップをいただけます。唐人屋敷跡を散策される際、まずは立ち寄られることをおすすめします。

まとめ

貿易のために長崎に来た唐人が帰国するまで生活していた「唐人屋敷跡」。現在も往時の面影を残すお堂や、ノスタルジックな街並みはインスタ映えする素敵な場所です。
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