現在、私が貰っている年金は特別支給の老齢厚生年金である。
この特別支給の老齢厚生年金については、過去にブログに書いてきたのでご覧あれ。
そして、65歳になって貰えるのが通常の老齢厚生年金である。
特別支給の老齢年金は期間限定の年金だから、65歳からの老齢厚生年金が私の本当の老齢年金である。
その65歳からの年金生活ははたして苦しいのか、意外と楽な生活なのか?まだ経験していないので、想像がつかず何とも言えない感じだ。今回は、「年金生活は本当に苦しいのか?」について考察する。
数年前に老後2,000万円問題に端を発して、年金だけでは老後の生活はできないと騒いでいた。しかし、最近では、慎ましい生活をすれば年金だけでも大丈夫という意見も増えたような気がする。
はたして本当に年金だけの収入で生活できるのか・・・
まったく想像できない。
年金だけの生活なんて強がりだけのような気もするし、あるいは仙人のような慎ましい生活が意外と可能なのかもしれない。
ちなみに年金は死別や離婚でおひとり様になると支給額は恐ろしく下がる。
平均13万7000円だそうだ。
年金はほぼ生活費だが、1人と2人でさほど生活費は変わらない気がする。
それなのに年金の支給額は1人になると極端に下がる。
こうやって金額だけを書くと年金生活は苦しそうだな〜。
しかし考えようによっては無いのはお金だけなのだ。
時間は有り余っているし、長年の生活で身の回りの物はだいたい揃っている。
そして、働くことも働かないことも自由である。
時間はたっぷりあるからやりたいことは何でもやれるでしょう。
人や社会と関わろうが関わるまいがそれも自由。
一人であれば自分のことだけ考えていればいい。
ただお金がないだけか~。
だったらどうにかなりそうだ。
進む道を迷ったら自分の心に聞け。
どちらが楽しそうか。
生まれつき、物事を楽観的に考える性格で、なるようになるさといい加減に生きてきたが、まさかそんな性格がこの年まで治らないとは思わなかった。
まあ真面目に生きたところで性分に合わない、胃が痛くなるだけ。
そういや生まれてこの方、一度も胃が痛くなったことがない。いや、一度ある。
30代のころ、サバの刺身を食べて激しい痛みに襲われた。
アニサキス、おまえだったか~。突然激しい痛みに襲われもんどりうった
アニサキスが人間の胃に入ってしまうと、胃酸に苦しむアニサキスが胃壁を破って逃げようとするため、激しい胃痛に襲われてしまうそうだ。その後、サバの刺身は避け、しめ鯖を食べるようにしている。以後、胃が痛くなったことはない。
ところで、私もいよいよ年金生活者だ。
さて、どんな生活が待っているのだろうか・・・
最近、ネットで、人口増加でタンパク質への需要拡大に家畜の飼料となる穀物などの供給が追い付かず、世界中でタンパク質不足が巻き起こる。そんな危機が迫るのは、2030年。タンパク質不足の危機を救うのが「藻」と「昆虫」である旨のニュースを見た。
野菜は好きだが「藻」?「昆虫」?
いきなりきた~。
「藻」は食べられそうだが、「昆虫」は無理!
どうなる2030年。あと7年しかない。
話を戻すが、実際に13万7000円の生活ってどんなものだろう?
そうか!
あの頃の生活を思い出してみるといいのだ。
当時と比べて物価は上がっているだろうから今の年金支給額とは多少違うだろうが、あくまでイメージだけということで・・・
あまりに遠い昔過ぎて記憶が定かではないが、それでも特に印象深いことは覚えている。
当時の日本の首相は中曽根首相だったが、この人は意外と長く首相を務めていた記憶がある。
あのころは首相がコロコロ変わっていた。そのおかげで歴代の首相の名前がちっとも覚えられなかった。中曽根首相だけは覚えている。
しかし、当時はなぜ首相があんなにコロコロ変わったのだろう?
その頃は、SONYのウォークマンが大ヒットし、若者はみんなヘッドホンをつけて街を歩いていた。
音楽媒体はカセットテープだ。
そしてコンピューターゲームの先駆けだったインベーダーゲームが大流行し、私もゲームにハマるという初めての経験をした。でも、1回100円なので、そんなに何回もできるゲームじゃなかった。
さて、その頃の私の生活状況はどうだったかというと・・・
当時は福岡で6畳一間のアパート暮らし。
キッチンとトイレは共同で風呂もなかった。
家賃は1万円だった。それははっきりと覚えている。しかも水道光熱費込みである。
風呂がないから銭湯に通っていたが、あの当時は銭湯がたくさんあった。
そして銭湯からの帰り道に格安の定食屋「〇〇庵」があり、そこでご飯を食べるというのが贅沢な食事であった。
週末になると福岡近郊が地元の友人たちとよく遊んだ。
友人の車でもドライブにも行ったことがある。夜の狭い道をやや速度を上げて走っていると、カーブを曲がり切れずブロック塀に衝突したことがあった。衝突するまでの状況がスローモーション的な映像でうっすらと頭に残っている。助手席に乗っていた私は何かにつかまって頭を軽く打ち、たんこぶができたくらいで済んだ。
大学のキャンパスには可愛い女の子がたくさんいた。
しかし、何年たっても私は、女の子とデートしたり話をすることが苦手だった。
なんでこんなことは覚えているんだろう。
しかし当時は酒の飲み方も知らず、酔っ払っては何度も醜態を晒してきた気がする。
今の西新周辺にいる若者同様、私も他人に迷惑をかけていたのかもしれない。
そして年月とともに少しずつ酒を飲む姿も堂に入ってきて、一人前の酒呑みになったようだ。金はなかったが楽しかった。
毎月月末は金欠で、時折、魚市場に夜通しのバイトに行った。確か、一晩で7千円ほどのバイト代を帰り際に現金で貰えた。
いい思い出だ。
きっと年金だけで暮らすというのは、あの頃のような貧乏生活なのだろう。
しかし悪くないじゃないか。
恐らく年金生活は苦しくも楽しい!
振り返れば、大学生のころは他人には偉そうに夢を語っていたような気がするが、実際は自分自身には大きな夢もなく、意外と無駄な時間を過ごしていた気もする。それでも楽しかった~。
「年金生活」もなんだかやれそうな気がしてきた。
年金生活はたとえ苦しくても、山に登ったり、旅に出たり、映画を見たりと、いくらでも楽しみ方は知っている。
お金は足りなくても人生はきっと満ち足りている。
人生は楽しむためにある!
そして、お金は無くても楽しむ方法はいくらでもあるはず・・・
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