60歳定年
定年という言葉を聞いてみなさんが思い浮かべる光景は、おそらくこんな感じだろう。
長年会社勤めをしてきたお父さんが60歳になった日を迎えた朝、いつものように歩いて駅に向かうお父さんの姿。
そして、退職辞令を受け取った後、退勤の会社の部下たちから花束をもらい、会社で最後の挨拶をするお父さんの姿。
帰宅後、夕食で、家族から労いの言葉をもらい涙ぐむお父さんの姿。
やれやれ、長いお勤めお疲れさまでした。
どれもお父さんが主役のワンシーンである。
「定年」はお父さんがサラリーマン人生において、初めて主役になった日であり最後の日なのだ。
若いころは生涯現役だなんて思っていた。
しかし、だんだん会社に必要とされなくなることを実感すると、もう目前に定年という2文字が迫っていた。
会社人生、サラリーマン人生、仕事人生・・・
いろんな言い方はあるが、60歳は定年の歳であり、人生の大きな区切りであり、第二の人生のスタートでもある。
ところがこれまで使われてきた定年という言葉は、その意味としてはすでに消えかかっている。
いや、もう消滅しているのかもしれない。
なぜならばすでにご承知のように、60歳で仕事を辞めても、年金だけでは老後の生活ができないのだ。
悠々自適な年金生活と言われた時代はすでに昔のことで、今は下流老人、貧困老人という言葉がネット上で氾濫している。
定年という言葉の意味は、働き方が第1段階から第2段階に変わるというだけの意味になった。
要するにただの区切り。第2段階の働き方の始まり。
これまでひたすら働き続けてきたお父さんは、定年によって人生のゴールテープを切るのではない。人生をマラソンに例えると、往路を走り終え、折り返し地点を通過してただ復路に入っただけのことである。
寿命がどんどん伸びるから、折り返し後の復路の距離もどんどん長くなる。
今からのお父さんはマラソンランナーだ!
このコースはフルマラソンよりも厳しい・・・
会社人生では定年を迎え居場所(仕事)を失ったが、仕事人生では自力で居場所(仕事)を見つけ生涯現役として働き続けざるを得ない。
世の中のお父さんにとっては嬉しいのか、悲しいのか・・・。どうだろう?私ならば、毎日、行く場所(仕事)があるのはありがたく思う。
何歳まで働きますか
改正高年齢者雇用安定法は、2年前の2021年4月に施行された。
これはどういう法律かというと、これまでは事業主に対して65歳までの雇用機会の確保が義務付けられていたものの、この法律改正により年齢がさらに伸びて65歳から70歳までの雇用機会を確保する努力をするようにということである。
法律の施行後、私の会社では最終的な定年年齢が69歳から70歳となった。もちろん、60歳定年後、正社員から嘱託又は契約社員などへと身分は変わるものの、元気であれば70歳まで働く道が開けたのはこの法律のおかげであろう。
ただ、某大手企業のように、80歳まで定年後の雇用を約束している企業もある。はたして80歳にもなって複雑な仕事を処理できるのだろうか?私には無理だ。
さらにこの法律は、正規の雇用によらない措置についても制度化される。
わかりやすく説明すると、雇用関係ではなく業務委託のような契約の仕方によって、働く機会を創出していくというものである。
これは良いと思う。
業務委託契約=フリーランス=個人事業主のことであるから、誰にも指示も命令もされずに自分のペースで働くことができる。
一生に一度くらいそういう仕事をしてみたい。
生涯現役である続けなければならない高齢者にとって、定年後の働き方に選択肢が増えることはとてもいいことだ。
働ける機会がどんどん増えるのはいいことだ。
現実として年金だけで生活できないという方もたくさんいるだろうから、そういう方達に働く機会が創出されるのはたいへん喜ばしい。
一方、私たちの本当の老後はいつやってくるのか!?
老後が退屈だなんて言っていたのは誰だ?
老後は忙しく働くというのが今の時代のニューノーマル?
しかし、年老いてもただ働き続けただけの人生というのでは、あまりにも高齢者は哀れだ。
折り返し地点を過ぎても続くマラソンコースの復路はゴールが遠すぎて見えない。
このレースが終わるのは、もしかすると走りながら倒れたときじゃないのか?
「あ~、もうだめだぁ」などと、気のせいか、高齢者たちの断末魔が聞こえるような気がした。
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