子どもの頃の記憶は、不思議と断片的だ。
その中でいちばん古いものは、おじいちゃんと手をつないで近所を歩いている光景である。
顔は思い出せないが、大きな手のぬくもりだけは、今でも確かに残っている。
おじいちゃんは大工の棟梁だった。
長男の家に生まれた跡取りの私を、きっと目を細めて見ていたのだろう。
そんな環境で育った私は、少し甘やかされすぎたのか、気の弱い子どもだった。
特に犬が苦手だった。吠えられるのが怖くて、近づくことすらできなかった。
そんな私を見かねたのか、父がある日、柴犬を飼い始めた。
「世話をしろ」と言われ、しぶしぶ関わるうちに、不思議と恐怖は少しずつ薄れていった。
犬は怖い存在から、身近な生き物へと変わっていった。

柴犬
それから30数年。
今度は自分が家庭を持ち、妻と子どもたちが「犬を飼いたい」と言い出した。
かつて犬を怖がっていた私が、今度はその願いを受け入れる側になっている。
人生とは面白いものだ。
迎え入れたのは、ビーグルの血が入った雑種の子犬たちだった。
5匹生まれた中から2匹を選び、トムとサムと名付けた。
小さかった彼らは、やがて家の中を駆け回り、家族の中心になっていった。
朝夕の散歩は日課となり、近所の道も、少し遠くの公園も、すべてが思い出の場所になった。

ビーグル
嬉しそうに尻尾を振る姿、季節ごとに変わる風景の中を一緒に歩いた時間。
言葉は交わせなくても、確かな絆がそこにあった。
トムは14歳で、サムは17歳で天国へ旅立った。
その日を境に、家の中は急に静かになった。
けれど、寂しさの中にも、不思議と温かいものが残っている。
それは、彼らと過ごした時間そのものだ。
子どもの頃、犬を怖がっていた私が、人生の後半でこんなにも犬に支えられるとは思ってもみなかった。
トムとサムは、ただの飼い犬ではなく、間違いなく家族だった。
今でも散歩していた道を歩くと、ふと隣に彼らの気配を感じることがある。
あの頃と同じように、何も言わず、ただ寄り添ってくれているような気がする。
犬と過ごした時間は、人生の中で決して長いものではない。
けれど、その短い時間が、こんなにも深く心に残るものだということを、私は彼らから教えてもらった。
トムとサムがいなくなった今でも、私は思う。
あの子たちは、私の人生を一緒に歩いてくれたのだと。


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