「もう仕事はやめて、ゆっくり過ごせばいいじゃないか」
そんな言葉をかけられる年齢になった。
67歳。世間的には、とっくに“リタイヤしていてもおかしくない年齢”だ。
それでも私は、完全に仕事をやめるという選択をしていない。
本当は、少し憧れている。
朝、目覚ましに起こされることもなく、時間に追われることもない生活。
好きなときに散歩をして、好きなときに食事をする。そんな日々に。
けれど、その一方で――どうしても拭えない気持ちがある。
「本当に、それで大丈夫なのか」
年金はもらっている。
だが、今の生活をこのまま続けていけるのかと考えると、正直、不安になる。
物価は上がり続け、これから何が起こるかも分からない。
病気になるかもしれないし、大きな出費があるかもしれない。
「足りなくなるかもしれない」という思いは、想像以上に心に重くのしかかる。
もう一つの不安は、もっと静かで、けれど深いものだ。
それは、「社会とのつながりがなくなること」
仕事をしていると、人と話す。
挨拶を交わし、時には頼られ、時には誰かを支える。
そんな日常の中で、自分が社会の一部であることを実感している。
もし、それがなくなったら――。

一日中、誰とも話さない日が続くかもしれない。
誰からも必要とされていないような、そんな気持ちになるかもしれない。
実際、今でも一人で過ごす時間は多い。
掃除をして、洗濯をして、食事を作り、一人で食べる。
静かで、穏やかな時間だ。
けれど、その静けさが、ずっと続いたとしたらどうだろう。
それでも時々、心のどこかで声がする。
「もう、頑張らなくてもいいんじゃないか」
これまで十分働いてきた。
それなりに責任も果たしてきた。
少しくらい、自分のために時間を使ってもいいのではないか、と。
働き続ける安心と、やめて自由になりたい気持ち。
その間で、私は今も揺れている。
完全リタイヤを選ぶ人は、きっと強い人だと思う。
自分のこれからを受け入れ、決断できる人だ。
それに比べて自分は――と、思うこともある。
けれど最近、少しだけ考え方が変わってきた。
無理に「やめる」「続ける」を決めなくてもいいのではないか、と。
仕事を減らす。
関わり方を変える。
収入ではなく、人とのつながりを大切にする時間を持つ。
そんな“あいだの生き方”があってもいいのではないか。
老後とは、何かを終える時間ではなく、
「どう生きていくかを、自分で選び直す時間」なのかもしれない。
完全リタイヤを考えている方へ。
もし、不安があるなら――それはきっと、自然なことだ。
そして、その不安は、あなただけのものではない。
私も、同じように迷い、立ち止まり、また考えている。
答えは、すぐに出さなくていい。
少しずつ、自分にとって無理のない形を見つけていけばいい。
67歳の今も、私はまだ揺れている。
けれど、その揺れも含めて、自分の人生なのだと思っている。



コメント