今日も一人~早逝の父と長寿の母の間で思う、これからの自分の生き方

シニアライフ
シニア

想像していなかった時間の中で

父は54歳で亡くなりました。あまりにも早い最期でした。
最後に会ったのは、その前日。交わした言葉は、たわいもない仕事の話でした。
あのとき父は、自分の死を想像していたのだろうか。
いや、おそらくしていなかったと思います。
だからこそ、あの何気ない会話が、今でも胸の奥に静かに残っています。

きっと悔いもあったはずです。
やり残したことも、見たかった未来も、たくさんあったに違いない。

普賢岳と眉山

一方で、母は94歳になった今も生きています。
長い年月を重ね、穏やかに日々を過ごしている。その姿を見ると、人の人生の長さというのは、本当にわからないものだと感じます。

では、自分はどうなのか。
いくつまで生きるのか。どこまで働けるのか。

正直なところ、もう少し長く生きていたい。
そして、働けるうちは働いていたい。
それが、今の自分の率直な気持ちです。

ふとした瞬間に、若いころの失敗が頭をよぎることがあります。
あのときの判断、あのときの言葉。取り戻すことのできない場面が、何の前触れもなく浮かんでくる。

そんなとき私は、意識的に先のことを考えるようにしています。
明日の仕事の段取り、来週の予定、少し先の生活。未来に目を向けることで、過去の影を少しだけ薄くするためです。

今日も一人。
子どもたちはそれぞれ家庭を持ち、遠くで暮らしています。

静かな家の中で、私は一日の計画を頭の中で組み立てます。
午前中は庭の草取りをして、午後からはジムに行く。
それだけのことですが、こうして一日を自分で整えることが、今の生活の軸になっています。

若いころには、こんな日常は想像もしませんでした。
もっと違う未来を思い描いていた気もします。

それでも今、こうして自分の足で立ち、体を動かし、次の日のことを考えている。
そのこと自体が、何よりも確かな現実です。

人生は思い通りにはならない。
けれど、思いがけないかたちで続いていく。

父が見られなかった時間の先を、自分は今、生きている。
そう思うと、この何気ない一日が、少しだけ重みを持って感じられるのです。

明日のことを考えながら、今日を終える。
その繰り返しの中に、いまの自分の人生が、静かに流れています。

奥羽山脈

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