人生を振り返ると、私はずいぶん長い間、精神的に幼かったと思う。
24歳で父を亡くし、その後は母と姉に頼るような形で生きてきた。
自分で決断することから逃げ、どこかで「誰かが何とかしてくれる」と思っていたのかもしれない。
その甘さは、30代前半に大きな代償となって返ってきた。
やり手の営業マンの言葉を信じ、多額の負債を抱えたのだ。
悔しさもあった。情けなさもあった。
だが今では思う。
あれは「騙された」のではなく、「見抜けなかった自分の未熟さ」でもあったのだと。

その後も、小さな失敗は何度も繰り返した。
運が良かったとは言えないし、運を引き寄せる力があったとも思えない。
それでも、私は今も働いている。67歳になった今でも、フルタイムで仕事をしている。
体力は落ち、気力も若い頃ほどではない。
それでも働き続けているのは、「生きている実感」がそこにあるからだ。
そして最近、ようやく気づいたことがある。
人生は、成功したかどうかで決まるものではない。
どれだけ失敗しても、どれだけ遠回りしても、
「今日を生きているかどうか」のほうが、よほど大切なのではないかということだ。
若い頃の私は、もっと器用に生きるべきだったのかもしれない。
もっと賢く、もっと慎重に選択すべきだったのだろう。
だが、もし今、人生に迷っている人がいるなら伝えたい。
失敗してもいい。
騙されてもいい。
遠回りしてもいい。
その経験は、決して無駄にはならない。
大切なのは、その後どう生きるかだ。
私のように、気づくのが遅くてもいい。
60代になってからでも、人は考え方を変えられるし、人生の見方も変わる。
今の私は、特別な幸せを望んでいない。
ただ、今日も元気に起きて、行く場所があり、働ける。
それだけで十分だと思えるようになった。
これは、若い頃には分からなかった感覚だ。
人生は、思い通りにはならない。
だが、思い通りにならなかった人生にも、確かな価値がある。
もし今、自分の人生に自信が持てない人がいたら、こう言いたい。
あなたの人生も、決して間違いではない。
遠回りしているように見えても、それはあなたにしか歩けない道だ。
だから、焦らなくていい。
他人と比べなくていい。
今日一日を、きちんと生きること。
それを積み重ねていけば、いつか自分なりの「納得」に辿り着ける。
私自身がそうだったように。

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