江戸時代にも大食い大会があった。まんじゅう、うなぎ、そばを食べまくる。酒を飲みまくる。200年前に実際にあった大食い大会の記録は、現代からみてもすさまじいものばかり。数ある大会のなかでも特に有名なのが、1817年(文化14)の大食い&大酒飲み大会だ。会場は、江戸は両国柳橋の有名料亭「万八楼」(まんぱちろう)。
甘さ地獄の「菓子の部」ではエントリーした選手が自分の好きなものを好きなだけ食べ、その量を競ったようだ。
「飯の部」では白米ではなく、ごはんの上に味噌をのせお茶をかける味噌茶漬けを何杯食べられるかを競った。
「 うなぎの部」はちょっと特殊で、食べた量ではなく食べた金額で競った。白米はなく、ひたすらかば焼きを食べ続けたようだ。
そして、酒豪も倒れる「酒の部」ではこちらの勝負も超シンプル。倒れるまで飲む!
老いも若きも武士も庶民も熱狂した大食い大会だが、無茶なチャレンジの果てに命を落とした人もいたとか。1831年(天保2)に万八楼にて開かれた大食い大会でのこと。香具師(やし)の松井源水(まついげんすい)がこの大会に参加し、生豆5合と水1升という記録を残した。しかし、源水は帰宅後に激しい苦痛に襲われ一昼夜悶絶、最期を覚悟した源水は最後の死力を振り絞り一子に奥義の秘曲を伝授すると死亡したそうだ。
さて、1978年夏、某お寺で宗教行事の手伝いを数人でやっていた時、誰かの発案で密かに大食いを競うことになった。みんな身体は細いのに食べるは食べる。カレーであったことも幸いし瞬く間に米がなくなってしまった。大奥さんが目を丸くして驚いていたのが印象的だった。おそらく、前回のブログで紹介した「大ちゃん」の発案であったと思うがよく覚えていない。お寺にしてみれば迷惑な話であるが、このお寺には本当にお世話になりました。感謝してもしきれません。
1978年夏?、確かにお寺で大食い大会をやった。
1978年の詩
夏の思い出
夏の陽射し、輝く若者たち
電車に乗りお寺に着き、みんなの顔が神妙に
照りつける真夏の太陽、身体から汗がぽたぽた
みんなで力を合わせ、塔婆を建てる
昼はみんなで食事、今日はカレーだ
夜は一杯、古き時代の話を聞きながら
仲間と笑い、語り合い、絆を深める
夏の思い出、笑いあり涙あり
若き日の光景、今でも目に浮かぶ
この世は出会い、別れの繰り返し
老いてわかる、世のことわりか
戌年 1958年生まれ
66歳 定年オヤジ
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