黄昏(たそがれ)の対になる言葉は何だろう。
黄昏とは、古くは「たそかれ」。「誰(た)そ彼(かれ)は」と、人の見分けがつきにくい時分の意味だそうだ。
黄昏の対の言葉は、曙(あけぼの)だろうか。
曙とは、ほのぼのと夜が明けはじめるころ。「朝ぼらけ」より時間的に少し前をさす。夜明けという意味だ。
いや、きちんと調べてみると、黄昏の対の言葉は、「暁(あかつき)」とあった。
「黄昏」とは夕方の薄暗い時から、人生の盛りが過ぎ晩年に向かうことに喩えられる。
人生とは昼間の若く輝かしい時間はあっという間で、残りの大半は「黄昏」であり「晩年」を静かに続けていく。
2024年の詩
黄昏(たそがれ)
人生も終わりに近付き、体力や気力の衰えを感じる今日この頃
人生の黄昏時は、もしかして70才くらいか。
そうすると、残り4年余り。
寝苦しい真夜中、佇む一人の老人。
また朝が来る。
今年も雨の季節がやってきた。
庭のアジサイもボクにささやく。
”元気で”と。
生きてることは素晴らしい。
屋外に出て深呼吸。
今日の黄昏も明日のうれしい朝の幕明け。
生きていることに感謝し、またその日の黄昏を迎える。
その繰り返し。
2024年6月
犬年(戌年)1958年生れ
66歳
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