春の小川はさらさら流る
日本人ならよく耳にした歌詞だろう。「春の小川」は、1912年に発表された文部省唱歌で、作詞は高野辰之、作曲は岡野貞一だ。
春の歌として、子どもの頃によく歌っていた。
ちなみに、1番の歌詞は、
春の小川はさらさら流る
岸のすみれや れんげの花に、
にほひめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと さゝやく如く。
である。先日、朝のテレビで、この小川は、渋谷区内を流れていた河骨川がモデルと説明していた。今は暗渠となっており地上を流れてはいない。
また、昭和のころの昔、作詞した高野の娘は「小さい頃、父と代々木近辺をよく散歩した。田園が広がるなか、小川には小魚が泳ぎ、春には花が咲いていた。『春の小川』はこのあたりを歌ったものと聞いている。」と語っている。
そのため、現在では、小田急線参宮橋-代々木八幡駅間の線路沿いに「春の小川」の歌碑が建立されている。
春が過ぎ、5月のゴールデンウィークも終わった。6月に入ると梅雨となる。一年で最もうっとおしい時期だが、植物にとっては恵みの雨となる。また、田植えの時期でもあり、あらゆる植物がぐんぐんと伸び始める。
5月下旬の今、春の過ごしやすい時期が終わり、暑さと湿気の季節に移りつつある。最近はクールビズというものが定着し、通勤や職場でネクタイ不要となっている。これは大変良い制度だ。
こうやって季節が前に進んでゆく。
そして、1年経てばまた梅雨が来る。
人生一度きり
季節が移ろうと、不思議と生きているという実感が湧く。
梅雨が来るのも1年ぶりだな〜。
翌年、梅雨が来れば確実に1年が過ぎたことになる。
それが生きてきたという実感につながるのかもしれない。
私にとっては、64回目の梅雨だ。
そして65回目の梅雨に向かって今日も変わらぬ1日が繰り返される。
こんな人生だったんだ〜。
いろいろあった。
いいことも悪いことも。
しかし今この年になって自分の人生を振り返ってみると、やっぱりいい眺めにしか見えない。悪いことは記憶が薄くなり、いいことが強調されて記憶に残っているからだろうか。
春の小川の2番の歌詞は、
春の小川は、さらさら行くよ
えびやめだかや、小鮒の群れに
今日も一日ひなたでおよぎ
遊べ遊べと、ささやきながら。
である。めだかや小鮒も腹をすかしていて泳ぎながら餌を見つけているのでは?と思う反面、遊べ遊べとささやきながら泳いでほしい、とも思う。私も、遊び心を持ちながら次はいいことが待っているさと希望を持ちながら暮らしたい。
一度しかない人生をどう生きる
人は生まれたときには、「おぎゃー」と泣きながら生まれてくる。そして、まわりの人は、誕生を心の底から喜ぶはずだ。人の誕生とは、尊いものだ。
この世での最上の喜びの一つだろう。
さて、人はだれも必ず死ぬ日がくる。その時、私は充実感を十分得ることができたと人生を振り返ることができるだろうか?笑って死ねるだろうか?
人の命は尊く、かけがえがないものだ。それを一層尊く、輝くものにするために、どう生きたらよいか、これからも考え続けたい。
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